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2021.01.25

真空管とラジオの歴史

世界初のラジオの試験放送から鉱石ラジオの誕生までの概略史

 1899年のマルコニーによる大西洋横断無線通信では電磁波が受信したか否か、所謂、0/1のデジタル信号でしたが、音声信号を無線通信で伝えたいという社会的な要求が強くなりました。そこで、1902年にフェッセンデンが音声信号により電磁波の振幅を変化させる方式(AM変調)を発明し、その技術を基に1906年にラジオの試験放送に成功しました。しかし、1914年に勃発した第1次世界大戦により電磁波の受信活動が禁止されました。

1918年に第1次世界大戦の終了に伴い受信活動が解禁となり、1920年にアメリカのピッツバーグで世界初の公共ラジオ放送が開始されました。また、その1年前にアメリカにおけるラジオ事業ための国策会社のRCA(Radio Corporation of  America)が設立されました。しかし、最初のラジオは鉱石ラジオ(1919~)で鉱石検波器により音声信号を取り出し、イヤホンで小さな音を聴く状態でした。

ラジオの動作原理の体験

AM(振幅変調)の実験装置

音声信号(信号波)により搬送波※の振幅を変化(振幅変調)させる様子を目視することが出来ます。

※搬送波:元となる信号のことで、例えば、1,000kHzのラジオ放送というと、この1,000kHzの波のことを言います。

鉱石検波器の整流作用の実験装置

鉱石検波器は最初の半導体で一方向にしか電流が流れない整流(検波)特性を有し、上記の実験装置によりこの特性を実験することが出来ます。

この検波特性を利用してラジオの変調波から音声信号を取り出す装置を鉱石ラジオと言います。1919年頃は真空管が普及していませんでしたので、最初のラジオは鉱石ラジオでした。

検波器切替式(D1/D2)ラジオ(アンプ付きスピーカー付き)と検波特性実験装置を接続して検波特性を体感

 検波器切替式ラジオにより、D1(探り式Si点接触ダイオード)とD2(市販のゲルマニウム・ダイオードなど)を切替てラジオ放送局の電波を受信することを体験することが出来ます。D1側で上手く探りと市販の高性能なゲルマニウム・ダイオード並の感度を得ることが出来ます。簡単な構造のラジオですが、放送局から遠く離れた那須においてもNHK第1、NHK第2、栃木放送を受信することが出来ます。

ダイオードへの入力波形(検波特性実験装置)

 また、D1/D2を切替で検波特性実験装置に接続することが出来、検波波形をデジタル・スコープにより観測することが出来ます。

 よって、聴覚(ラジオ放送)と視覚(検波波形)を対照させながら検波特性を体感することが可能です。

D2(市販のゲルマニウムダイオード)の出力波形

下半分(マイナス方向)がカットされ検波特性を確認することが出来ます。

D1(探り式)の出力波形

上手く探れば市販の高性能ゲルマニウムダイオード並の検波波形を確認することが出来ます。

1920年代の真空管ラジオの概略史

 1920年にアメリカで公共ラジオ放送が開始されると多くの企業が真空管ラジオの事業と技術開発を競う合うことになりました。その中で最も有名な企業はRCAとAtwaterKentではないでしょうか。RCAは1922年に2球真空管ラジオRadiolaⅡをリリースしたことを手始めに多くの真空管ラジオを世に出しました。また、AtwaterKentは1923年にModel 10をリリースし、同様に多くの機種を世に出しました。Model 10はブレッドボードタイプということもあり、現代においても多くのマニアにとってあこがれのビンテージ・ラジオです。大半がストレート方式ですが現代のラジオと比べても非常に感度が良いラジオです。

最初期の真空管ラジオの体験

RadiolaⅢを模して現代の真空管で製作してみました。
(那須科学歴史館 2019年製作)

このラジオとRCA Radiola Ⅲ(USA 1922年)、Crosley Model 51(USA 1924年)の3台を聞き比べることが出来ます。

RCA Radiola Ⅲ(USA 1922年)

真空管199 2本による再生式ラジオで、那須においてもNHK第1(594kHz), NHK第2(693kHz), 栃木放送(864kHz)を受信することが出来ます。

1920年代の真空管ラジオの体験

Beckley Ralstonを模して現代の真空管で製作してみました。
(那須科学歴史館 2019年製作)

 現代でも生産している真空管を使用し、構成はBeckley Ralstonと同じ高周波2段(5極MT管 6CB6), 検波・低周波2段(12AU7,12AT7)ですが、Beckley Ralstonの高周波増幅率が20~30に対して、6CB6による高周波2段の増幅率は400~500で超高感度です。夜間の電波状況の良い時には北海道や大阪の放送局も受信できます。

Beckley Ralston(USA 1926年)

 高周波2段(真空管201A*2), 検波・低周波2段(201A*3)のストレート方式で真空管201Aを5本も使用していますが、感度が良いとは言えません。那須ではNHK第2が受信できるくらいです。

Atwater Kent Model 33(1927)

 3段の高周波増幅に伴い4つの同調回路(コイルとバリコン)がありますが、4つのバリコンを1つのダイヤルで連動させているため選局が非常に簡単になりました。

Atwater Kent Model 46(1929)

 Model 33は電池式ですがModel 46はエルミネーター式(電灯線、交流電源)に替り、Model 33とModel 46の音質の差を体感することが出来ます。

RCA Radiola 18(USA 1928)

RCA Radiola 18とEveready A-C Receiver 2、Atwater Kent 46は同じエルミネーター式で回路もほぼ同じですが、やはりRCA Radiola 18の方が作りが良いですね。100年近い歳月が物語っています。体感して下さい。

Eveready A-C Receiver Model 2(USA 1928)

1930年~1940年代の真空管ラジオの概略史

 1920年代の大半の真空管ラジオの電源は電池でしたが、1928年頃から電灯線を電源とする真空管ラジオが登場しました。(電池なしの電灯線による電源装置をエルミネーターと呼びました。)1930年代になると多くの真空管ラジオがエルミネーター付きになるとともに、横長型からコンパクトでスピーカーが内蔵されている縦型(カセドラル、ミゼット型)に変化していきました。回路方式についてはストレート、再生、レフレックス方式よりもスーパーヘテロダイン方式が多くなっていきました。しかし、日本においては安価で設計が比較的容易な再生方式(並三、並四、高一)が主流で、この状態は終戦まで続きました。しかし、戦後の1947年にアメリカGHQにより再生方式の製造禁止令が出され、日本の真空管ラジオの多くがスーパーヘテロダイン方式に切り替わっていきました。

1930~1940年代の真空管ラジオの体験

Kolster-Brandes KB253(British 1931)

イギリス製のラジオはアメリカや日本製とは異なる外観、内部構成で特徴があります。

回路構成は再生式で同時代の日本の再生式より感度が良いと思います。当時の日本のラジオと聞く比べて下さい。

Hermes 並三ラジオ(日本 大阪変成器)

昭和1年に購入と裏ブタに記載されていますが、1926年(昭和1年)
にはエリミネータ式は普及していないことから考えると、記載間違いと思われます。Hermesの中で最も初期型で感度が悪く、那須でラジオ放送を聴くには大型アンテナかプリアンプ(高周波)が必要。

ATWATER KENT Model 185A (USA 1934)

スーパーヘテロダイン方式で感度が非常に良く、夜間のなどの電波状況が良い場合は大阪の放送局も受信しました。現代のラジオと聞き比べると面白いと思います。

森井時計商店 型式名不明(日本 1930年前後)

電池電源用直熱管の真空管201Aでエルミネーター(交流電源)を作り、検波は真空管でなく鉱石を用いているレフレックス式です。感度は上記のHermesと同程度で、那須でラジオ放送を聴くには大型アンテナかプリアンプ(高周波)が必要。

コンサートン RM-5(日本 タイガー電機 1937年)

再生式ですが高周波増幅1段が付いていますので、当時の日本製ラジオとしては高感度です。

ブラザー BS71(日本 1945~1950年頃)

高周波1段付きのスーパーヘテロダイン方式で、マッジクアイも入れると真空管7本を使用し、当時としては高級ラジオの部類に入ると思います。

1950年以降の真空管ラジオとトランジスタラジオの概略史

 1950年代に入るとMT管(電池管)を用いたポータブル真空管ラジオが盛んに作られ、また小型化が加速的に進み、外観ではトランジスタ・ラジオと区別がつかない真空管ラジオも登場しました。しかしながら、トランジスタ・ラジオの登場により真空管ラジオの時代が終焉しました。

 1954年にアメリカのTI(Texas Instruments)の4石トランジスタ・ラジオTR-2が登場し、翌年にソニーの5石トランジスタ・ラジオTR-52が登場し、更に1958年にはソニーのTR-610が世界で爆発的にヒットしたことにより本格的なトランジスタ・ラジオの時代が到来しました。

1950年代のポータブル真空管ラジオの体験

Zenith L403 (USA 1953年)

ラジオブランドとして有名なZrnithの真空管ラジオです。感度、音量とも充分な性能です。

Westinghause H598P4 (USA 1957年)

天才技術者テスラを擁しRCAとともに初期のエレクトロニクス技術・産業を主導したウェスチングハウス・エレクトリックの真空管ラジオです。

残念なことにウェスチングハウス・エレクトリックは1999年に幕を閉じました。

Harpers GK-301 (USA 1959年)

外観からはトランジスタラジオと間違えそうですが、正真正銘の真空管ラジオです。

Novel Dempa RN-4B (日本 1955)

非常に小さいですが、スピーカーは内蔵されていなくイヤホーンでラジオ放送を聞くタイプです。

真空管の概略史

 1905年にフレミングが二極真空管を発明し、1906年にドフォーレが三極真空管を発明し、また、1912年にドフォーレが三極真空管の増幅作用を発見したことにより、真空管の時代の幕が開けました。1913年にWE(Western Electric)がドフォーレの三極真空管(球形オーディオン)を改良した電話中継用真空管タイプAが誕生し、更に改良を重ねて101A(1915年)、102A(1916年)などが開発されました。

 1920年になるとアメリカでの公共ラジオ放送の開始に伴ってRCA(ブランド名Radiotron)がラジオ用三極真空管(UX-)200を製造・販売しました。1922年には真空管200を改良した201Aが登場しました。201Aは1920年代のアメリカを中心とした多くの真空管ラジオに採用されました。当時の真空管ラジオの電源が電池であったためメンテナンスとコスト面で大きな問題があり、電灯線を電源(エルミネーター:交流電源)とする方式に変化していきました。しかし、201Aなどの当時の真空管はフィラメント(ヒーター)とカソードが一体である直熱型であったためノイズが大きく、エルミネーター式ラジオとしては実用になりませんでした。そこで、1927年にフィラメントとカソードを分離した傍熱型真空管227が誕生しました。また、201Aは高周波増幅、検波、低周波増幅、電力増幅(出力)を行う汎用管でしたが、出力性能を向上させた出力専用真空管112,117(1925年)が誕生しました。更に、1930年には電源整流用の112B、高周波用の四極真空管224も登場し、これ以降、各回路の機能に特化した専用管が作られるようになりました。  ※周波数変換:6WC5、高周波増幅:6D6、検波:6-ZDH3、低周波増幅:76、出力:42など

 1939年には小型で乾電池による駆動が可能なMT管1R5,1T4,1S5,3S4などが登場し、ポータブル真空管ラジオ用として用いられました。

左から: UX-200      UV-201A      UV-201A       UX-117A       UX-112A
RCA Radiotronの初期の真空管たち(那須科学歴史館 貯蔵品)

実際に見たり、触ったりしていただきながら、歴史と科学を交えた解説とともに体験をしていただけます。

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